第7回「推し」について
ワールドトリガー3期の最終回をリアルタイムで見ようと思ったら、津波で見れなくて少し残念な気持ちになった Kazu☆です。
この記事を書き始めたのが2022年1月16日1時50分くらいであり、テレビではどのチャンネルで津波警報・注意報の放送がされていますので、特に太平洋近辺の人は津波を見に行くという危ない行動をしないようにしてくださいね。現在(2022年1月16日1時52分時点)では避難の指示が出ています。
さて本題に戻って、今回は「推し」について考えてみたいと思います。
まず「推し」について、言葉の意味を調べてみます。
推し
なるほどね。
アイドルオタクのお気に入りを指す表現から広まったようですね。後は、薦めることや薦める対象って言うのも納得です。
みなさんの「推し」は何ですか?
僕の「推し」はピカチュウです!
え? そんなの知ってるって?
まあまあ、もし、ピカチュウのことを書くならばタイトルを「ピカチュウ」についてとしているので、ピカチュウの魅力は別の機会に、、、
単に今回は「推し」って何なんだろうってことを考えていきます。
まず「推し」ができる過程ですが、「好き」や「カッコいい」、「かわいい」という他者(特定の対象)に対する感情の芽生えから「推し」ができるのではないのでしょうか?
また、他者や特定の対象に感情を抱くと言っても、ポジティブよりな感情を抱くことも条件になるでしょう。
「推しに貢ぐ」という言葉もありますね。例えば、推しと握手ができるチケットを求めて推しのCDを買うことだったり、推しの写真やグッズを買うことだったり、推しがいるコンテンツにお金を払ったりなど貢ぐ方法はいくらでもありますね。推しに貢ぐことでどのような効果が得られるのでしょうか?
・推しと会話ができる
・推しについて詳しくなる
・推しのレアな姿が見れる
・推しをもっと好きになる
・推しを提供するコンテンツを活性化させる
など
十人十色な効果が得られるのでしょうが、僕は「充実感で満たされる」効果が最も大きいのではないかと思います。理由は「推しに貢ぐこと=推しに喜ぶことをしている」であり、人に善いことをしていると感じることが充実感に繋がると考えたからです。
ここまで「推し」について考えてみて分かったのですが、「推し」がいると幸せに感じるし、ある意味、「日常生活で幸せである」という意味ではリア充ではないのでしょうか?
ただここで少しだけ疑問が生まれました。「推し」を「神」と呼ぶ人がいますが、その場合はどうなのでしょうか。
「推し=神様」となると、それは信仰になりますね。初めの「好き」や「カッコいい」、「かわいい」を超えて敬う対象となっている......
信仰していれば「充実している」「幸せになる」「リア充である」
んむむ、なんか怪しく感じる、、、
後は「推し」が複数いることもあります。
「この人(キャラ)とあの人(キャラ)が推し」みたいなね。場合によっては、カップリングという話にも繋がります。
「推し」が複数いると「推しに貢ぐ」ことも単純計算で倍以上になるのかなと思いましたが、これは人に依るのかもしれませんね。「ただただ見ているだけで幸せで推せる、、、」という人もいるのではないでしょうか?
いずれにしろ、自分の生活水準の範囲で貢ぐのが良いとも思いますし、貢ぐだけが「推し」に対する「推す」ではないと僕は思いました。
では、まとめです。
・「推し」は「好き」や「カッコいい」、「かわいい」と思う対象である
・「推し」は「尊敬」や「敬拝」の対象にもなる
・「推しに貢ぐ」ことでポジティブな気持ちになる(活力になる)
・「推しに貢ぐ」ときは計画的に
・「推しに貢ぐ」ことだけが「推し」を「推す」ことではない
いかがでしたか。
なぜ「推し」のことを考えたのかと言うと、僕に新たにかわいい「推し」ができたからです。
以前からピカチュウ以外にも「推し」はいましたが、「推す」ならばそれなりの覚悟が必要であると思う反面、僕自身、たくさんの対象を「推す」のは大変だなとも思いました。その対象の数だけ気持ちを向けるわけですから。
ということで、僕はこれから何を「推す」のか整理をしたいと思っています。
みなさんも「推し」に対して、どう思っているのかを振り返ってみると「推し」との良い付き合い方が見えてくるかもしれませんね。
それでは、また。
P.S. 僕は何回「推し」と「推す」を使ったでしょうか?